面白おかしいクラスの人気者
いつも面白くお友達を笑わせているクラスメイト、いままでいませんでしたか?
私の中学のクラスメイトにもそんな男の子が一人いました。彼は殴り合いもして顔にあざを作って登校してくる、悪として知られるけれどクラスでは面白おかしく、そして優しく思いやりのある人気者でした。成績といえば、いつも学年300人いた中の最後から5番目あたり。そんな彼のように授業中悪ふざけをして周りの生徒を笑わせたり、授業を中断してしまうクラスメイトが今お子さんのクラスに居るかもしれません。
人を笑わせたり悪ふざけをしてしまうといった行動の裏には、本人や周りも気づいていないメッセージが隠れているかもしれないことを今日はお伝えしたいと思います。
こんな生徒は知りませんか?
教師が呼びかけると、くだらない答えをする。
極端に大胆で面白い。
教室に入ってくるときに騒々しく登場する。
物を落として大騒ぎする。
クラスで子ども達がこのような行動をとった場合、しばしば問題になる事ことがあります。また、いつもふざけていると授業に支障をきたして先生を困らせます。中学校などでは懲戒処分を受けることもあるかもしれません。成績にもすでに影響がでているかもしれません。
このような行動は、そのうち子どものクラス内外での社会生活にも影響を及ぼしてきます。悪ふざけを面白いと思い、いつもふざけている子どものそばにいたがる子ども達もいると思います。しかし多くの場合には、子供たちは仮面を被ったピエロのような行動を面白くはなく、へんなやつ、うっとうしいなどと思い、敬遠していくことも考えられます。
ではこのようなピエロの行動をする子どもをみたとき、周りの教師や大人は何を思えば良いのでしょうか?
子ども達がこのようにピエロを演じる理由はさまざま考えられます。好意的な反応が返ってくるなら、注目されるのが好きなのかもしれません。
自制心に問題のある子どもは、面白いと思うことをしたり言ったりしたい衝動を抑えるのが難しいのかもしれません。衝動性の特性あるADHDの子ども達は、しばしばそうすることがあります。思いついたら、結果を考えずに行動してしまうのです。
自分自身に注意を向けるためではなく、自分が悩んでいることから注意をそらすために(先生の質問に答えられる自信がない、答えの導き方がわからない、など)授業中に行動を起こすこともあります。課題を隠すためにピエロになるのです。子ども達が隠そうとする例をいくつか挙げてみましょう:
不安(わからなかったり、笑われたり、バカにされたり、間違うのを恐れているなど)
いじめ
学習についていけない
集中力や整理整頓が苦手
衝動的または多動
社会性に問題がある
家庭でのストレスの多い状況
自尊心の低さ
子どもは特に問題を起こそうとしているわけではありません。自分の弱い部分を隠そうとしているだけなのです。学校に遅刻ばかりして笑われるより、教室に入る際に大声で登場してみんなを笑わせる方がいい。ピエロになるのは、批判を先回りするためであることが多いと考えられます。もちろん面白い子どもの中には、ここに挙げられていることと全然関係のない子どももいます。一度「どうしてだろう?」とピエロ的な行動をする子どもに興味をもってあげることが支援の第一歩になると思います。
今思うと、私の中学の同級生ももしかしたら家庭でのストレスがあったり、集中力に苦手を感じていたり、勉強についていけないことが自尊心の低さにつながり、ピエロになって自分の心を守っていたのかもしれません。
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きょうだい児と家族の将来のために今できること
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そういう方のために、今週末4月28日(日)保護者向けの無料オンライン勉強会があります。
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「2e」ってご存知ですか?
2Eと言う言葉を聞いたことがありますか? 2Eとは2E(twice-exceptional)のことです。ADHDやASDのような脳の特性と才能を併せ持っていて、その両方に個別のニーズに応じた支援が必要な人のことを呼びます。
国によって2Eの定義が少し変わってくるかもしれませんが、日本での定義は2E教育フォーラムで紹介されている以下をご覧ください。
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2Eを巡る論点
最近、2Eや2E教育への関心・理解が、当事者・関係者や教師だけでなく一般にも高まってきた。しかし誤解や無理解もしばしば見られる。 2Eに対応する日本の教育制度は整っておらず、実践・研究が極めて乏しいという事情もあるが、才能のある子に対応する文科省の新たな取組も始まり、関連する論点を正しく理解しておく必要がある。 ここではごく簡単に主要な点について述べる。本サイトの他のページも参照されたい。
「2E」は「発達の凸凹」と言うより「発達の枝分かれ」がユニークだ
何らかの優れた才能と発達障害等の障碍を併せもつ子どもを、「2E(トゥーイー)の」(2e: twice-exceptional:二重に特別な)子どもと呼ぶ。 例えば、数学や理科、芸術が得意で読み書きの障害をもつ場合などである。 2Eの子は、才能を伸ばす面と障碍による困難を補う面の両方に、二重に特別な支援を要する。
2Eは(発達障害だけでも)「発達の凸凹」と言われることがよくある。 発達の凸凹(得意と苦手のギャップ)は誰にでもあるが、凸凹が大きくて学習・生活上の支援が必要になる場合もある。 知能検査等の標準検査では、発達の標準・定型からのズレは異常や遅れとして認識され、下位指標間のアンバランスは「発達の凸凹」や「非同期性」と見なされる。 ここには、早い遅いはあれ、誰もが同一の発達の道筋 を辿るという素朴概念が反映されている。 これに対して、「発達多様性」の考え方では、発達は個人の各機能や特性が個性的に「枝分かれ」して、ユニークな形の大樹に育つとイメージされる。 すると、個人の凸凹の「凹」を標準に近づけようとすることだけが発達支援ではなく、枝分かれを伸ばせる環境を公正に整えようとすることが、優先的に目指すべき理念になるだろう。
「ギフテッド」は「障碍・困難に支援が必要な子」に限定されない
昨今、「ギフテッド」という用語が、「突出した才能(をもつ人)」あるいは「(突出していなくても)才能と障害・困難を併せもち支援が必要な(人)」という意味に限定して用いられることがよくある。 「突出した才能」の意味では、「非常に高い知能(IQ)」が素朴にイメージされる。 国の行政レベルの「才能」を巡る議論では、将来、国をリードするトップ人材育成と関連付けられる。 突出した才能の「ギフテッド」を語る際に、エジソンなど天才的人物を引き合いに出すことが多い(特に報道での話のパターンとして)。 そしてこれらの人々は発達障害を伴ったと語られる。これが、「ギフテッド」とは「突出した才能と発達障害を併せもつ」というイメージを強める。
文科省の「有識者会議」では、「ギフテッド」は限定されたイメージが論者により異なり議論が混乱するため、この用語は用いず、結局「特異な才能」と表現することになった。 「特異な才能」には幅広い領域・特性や程度の才能が含まれ、英語本来の意味の”gifted”に相当する。 敢えて「特異な才能」と呼ぶのは、教育行政用語として、新しい理念の取組を象徴するキーワードだからだと認識しておけばよいだろう。 これに関わらず、一般の慣用で「ギフテッド」と呼ぶことは差し支えない。 しかしその使用者は、特定の議論の文脈やコミュニティ内で、どんな特定の意味内容で用いているのかを明確に自覚・表明して、共通理解を図るべきだ。
「ギフテッド」の誤解について言い添えると、「アメリカではギフテッドは6.7%存在する」等、語り伝えられることがある。これは説明無しでは誤解を招く。 アメリカでは「才能教育」(gifted education)の実施は州や地域の判断に任され、「才能プログラムの対象者の割合は、州によって1%以下から十数%まで大きな幅がある」という統計結果があった。 全国各州を平均すれば約6.7%になるが、プログラム対象者としての「才能児」の割合は、その地域の教育理念・政策や人材・資源の豊富さという実際的事情に左右され、プログラムの収容人数(キャパ)しだいで恣意的に変わる。 「ギフテッドの子は何%か?」という問いは無意味だが、充分な条件が整えば、通常の教育課程を超えてニーズに対応すべき多様な才能のある子は、1、2割いるはずで、「ギフテッド教育」は決して「天才教育」ではない。
「特異な才能」はIQなど特定の基準で一律に定義できない
才能のある子の基準として「「高い知能指数(IQ)」が素朴にイメージされる。 内閣府の「総合科学技術・イノベーション会議」でも、「特異な才能のある子供」をIQ130以上と仮定した。 しかし、もし「特異な才能のある子」を「IQ130以上」などと定義したら、様々な問題が生じ得る[この説明はNITS校内研修動画①を参照]。 そのため、有識者会議「審議のまとめ」では、特定の基準や数値による才能の定義に当てはまる子どものみを「特異な才能のある児童生徒」と取り扱うことはしないと明言された。
「特異な才能」の基準は個別の取組ごとに決まる
才能のある子の定義や基準が予め示されないと、何らかの取組の対象者を判断できなくて困るという、誤解や不安も見られる。 しかし、「審議のまとめ」にも記されたように、才能の把握は、個別プログラムや施策の目的・内容に応じて、実施主体が個別に行うのだ。 これは個別の学校の入試の事情と同様で、また数学と音楽教育プログラムとでは、対象者に求める能力は当然異なる。 それだけに、具体的な取組では才能をどんな意味に特化しているのか、どんな才能行動・特性を想定しているのかを意識して明示することが望まれる。
2Eは一律の定義で判定できない
2Eの子が知能検査で高得点の場合、「ギフテッド(高知能)」だと指摘(判定)されることもあるが、「ギフテッド」という(疾患の) 診断名はない。 「ギフテッドと診断された」という誤解が「ギフテッド=発達障害」という混同も招く。
アメリカでは、才能教育の公式な才能識別基準で「才能児」を判定でき、その子が診断された発達障害を伴えば「2E」だと認定できる。 ただし当該の障碍種は一定しない。日本では、特別支援教育として2Eにどう対応するのかという喫緊の課題は、文科省でも議論されていない。 2Eの障碍面について対象者の範囲を合意しにくいし、才能面についても上記のように一律の定義づけには問題がある。 それでも2Eに相当する「才能と障害を併せ有する児童生徒の対応」の必要性は「審議のまとめ」で述べられ、「支援の推進事業」の課題となっている。 2Eとラベル付けた選別は避けるべきだが、支援が必要な2Eの特性のある子は確かに存在する。
「困っている才能のある子」には、「才能による困難のある子」もいる
才能のある子の困難は、2Eのように障害特性による場合だけでなく、才能特性による場合もある。 有識者会議のアンケート調査でも、学校で才能が原因の困難として、次のような回答例が見られた。 ①学習面:授業が簡単過ぎて退屈・苦痛だ、②対人面:仲間とは難しい話が合わない、いじめられる、③教師の対応:才能を理解してもらえず、発言・質問を無視・否定される。 ただし、特に困っていない才能のある子(本来の広い意味のギフテッド)も多くいる点は、注意しておくべきだ。
学習・生活上の困難は、個人に内在した特性というより、環境との適合性・相互作用に左右される。 「才能による困難」の要因の一つに「超活動性」(OE:overexcitability)があると指摘される(過興奮性、過度激動という訳語も)。 OEには「自然の美しさに感動する」等の行動も含まれ、OE自体が困難な特性ではない。
才能のある子のOEが不適応的に働けば、困ったこだわりや神経症的完璧主義など、学習・社会情緒的な問題として表われ、学業不振や不登校に陥ることもある。 しかしOEが適応的に働くような、適合した環境に整えることによって、望ましいこだわりや完璧主義に変えることができ、優れた問題解決や創造にもつながる。
なお、OEの特性は、ADHDやASDの発達障害に表面上似ることもあり、誤診・過剰診断されることもある。 ただし両者は差異の手掛かりから区別できる場合もあるが、明解に判別できるものでもない。 保護者が「発達障害ではなくOEをもつギフテッドだ」と先入観をもつべきではない。
まずは、「困っている才能のある子」は、どの学校でもたいていの学級に存在することが、広く認識される必要がある。 教師がその特性に気づいて、子どもの内面を理解することが重要な鍵となる。 教師が才能面を肯定的に認めて、才能と困難に目を留めていることを示すだけでも、子どもの気持ちは救われ、学級が居場所になり得る。
(©松村暢隆,2015, 2023)
松村暢隆(2023)「2Eの論点,2E教育フォーラム」,https://2e-education.org/(2023年4月1日最終確認)